頭胴長七センチの視点
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頭胴長七センチの視点
「朝だぞ、ご主人」
私は白いシーツに盛大にうねり跳び跳ねている水色の髪、その後頭部に声をかけた。
これは、とある元精霊の平凡な日常を語るだけの物語。この体になってからはほぼ毎日このような生活を送っている。そう思ってくれていい。
「うー、おはようございます……」
我が主の寝起きは良くも悪くも無い、と言ったところだ。私の小さな声でも起きられるようだが、すぐに動き始めるかというとそうでも無い。
ゆったりと上半身を起こし目をこするクリス様を確認したところで、私は少し体をふるって元々のねずみの形に姿を戻した。
一先ず朝一番の任務はこれで終了。
パジャマのまま洗面所に向かう主を見送りながら、私の脳内に蔓延る邪念はとにかく朝食のことばかり。
主からの供給が必要無い体は、代わりに食事という不便な動作も増えて誠に遺憾である。特に何もすることが無いとはいえ、食事に心を奪われ過ぎている気がしてならず、これではいけないと思うもののこびりついて離れないチーズの素晴らしさ。
主が部屋に戻ってきたところで私はその肩に乗り、逸る気持ちを抑えつつ共に食卓へ向かう。
「おはようございます」
まだ少しぼんやりとした表情、あと寝癖は一切直されていないクリス様が挨拶をすると、既に朝食を終えていた医者と助手が同じように朝の挨拶をした。
二人が着いているテーブルには既に私と同じ姿の白いねずみが幸せそうにトーストにかじりついている。
ダインは精霊の中では一番本能に忠実、悪く言えば勝手我儘な奴なので、そんな奴をこれだけ大人しく過ごさせているのだから、ある意味ここの家人達は凄いと思う。
まぁ、半分以上は食事の美味しさ故に逆らえなくなるというもの。あの助手に『ご飯抜きにしますわよ~?』などと言われたら私も逆らえる気がしない。全くもって不便な器だ。
黙々と朝食を食べる私とクリス様、無言で新聞を読んでいる医者と、朝から忙しそうな助手におかわりをねだるダイン。
全てがもはや見慣れた日常であり、これが私の『人としての生活』であった。
他の人間達がどういう暮らしをしているのか定かでは無いが、歴代の主人達は少なくともこんなに穏やかな日常は送っておらず……この仮住まいに居る間だけとはいえ、クリス様がこれで幸せであるのなら良い、と今は何の役にも立てない体を寄せて想う。
ここまではあくまで朝の話。
食事やご主人達の雑談が終わると、次にこの不便な体のチェックが行われるのだ。
「注射はやだよ!」
いつも通りまずダインが逃げ、追いかけすらしない医者が先に私の体に針をさしたり何やらする。
ただの精霊であった頃は感じたことの無い、この痛覚というものは非常に疎ましい。ダインが逃げるのも分かるほど私も正直なところ嫌なのだが、そこは奴と私の差というもの。私は昔からきちんと自制が出来る精霊だ。
今日の検査はごちゃごちゃと長引かず、一通り終えたらしい医者が言う。
「連れてきてくれ」
今の姿のままでは喋ることが出来ないしその必要も無いと判断した私は無言で頷く。これも日常。
三つ目の青年が居候していた時は良かったが、他に手が無い状態ではダインの面倒事は大抵私に回ってきていた。
敢えて再度言おう。私は自制が出来る精霊であるからして、恩を仇で返すようなことはしない。
胸の内でもやもやした何かを払うように、私は獣の姿のままで白い床を蹴った。
それから多少の時間をかけたがダインを廊下の角に追い詰め、私達は互いの赤い瞳をぎらつかせ睨み合う。一瞬でも気を抜けばまた脇をすり抜けられてしまい振り出しに戻るだろう。
と、そこへ急に光が陰ったような気がしたかと思うと、次の瞬間私とダインは宙に浮いていた。
「上から見ると団子が二つ落ちているみたいですよ貴方達」
その日の私とダインの勝負は、クリス様の介入により引き分けとなり、摘ままれたダインは人型に変化して暴れ訴えている。
「放せよ! お前はあの針に刺されたことが無いからボクの気持ちが分からないんだ!」
「いや、ありますってば……」
「嘘だぁ!」
片方が人型に変化したことでダインがどちらか把握したクリス様は、私を肩に乗せてダインを掴んだままあの医者の部屋に足を運んだのだった。
そして半泣きで注射を打たれたダインは一旦檻に入れられ、そこに私も一緒に入れられる。壊されるたびに頑丈になっていく一般的に言う虫かごサイズの小さな檻は、本来はダインだけを入れるための道具なのだが、私までもが入れられている理由は他でも無い。
「少し席を外すから、頼んだぞ」
「……了解した。なるべく早く帰ってきて欲しい」
そう、檻を壊させないためのストッパーがこの私なのである。常に目をかけていられるならば檻も必要無いのかも知れないが、勿論そんなこと出来るはずが無いので、一日に数回はこうやって一緒の檻に入れられてしまう私とダイン。
ここからは大抵、ダインの長く鬱陶しい愚痴が始まるのだった。
「大体ね、よく分からない物を注射しないと安定しない器にボクを入れたって言うこの事実がもう許せないよね! 人間は何であんな武器みたいな物を自らの体に刺そうだなんて発想が出てきたんだい!? 理解出来ないよ!」
「うむ」
「この体で出来ることなんて大して無いんだからもう少し自由にさせてくれてもいいと思うんだ! ボクは確かにニールと違ってアイツらと一生分かり合えることは無いだろうよ。でも、ボクだって今のボクに何が出来て何が出来ないのかくらい分かってる。こんな小さくなって、壊せるのなんかドアくらいなんだからいいじゃないか! ね!」
「うむ」
多分そのドアを普通に開けないからと言って穴を開けて壊されるのが一番嫌なのでは無いだろうか、とは思うが私はただ頷いて相槌を打つだけに留めておく。そもそもダインは他人の話など受け止めて聞くタイプでは無いからして、好きなように話させておくのが一番なのだ。遠い遠い昔から、ずっと。
華奢な腕で檻をきしきしと動かしながら、流石にもう壊すには骨の折れる硬さを確認して、ダインは溜め息まじりに色白の肩を落とす。
「お腹が空いたなぁ……」
「うむ」
「いつも量が足りないと思わないかい!? 人間達はあんなにいっぱい食べているのに、同じ量を寄越せって話さ! あの女は特に取り分が多過ぎる!」
「うむ」
クリス様もなかなかよく食べるとは思うが、それでも一般常識内の量だろう。ダインが言うのは多分助手のことで、あの獣人はいつも出ている料理の八割がたを食い尽くしていた。
双子の兄であるはずの医者はクリス様よりも少食に見える為、種族という問題ではなく彼女がそういう体質なのだとは予想出来る。
ダインの言う通り、もう少しこちらに分け与えてくれたら、とは思うがそこは居候の身。私はダインのようにそんな不満などは漏らさない。あくまで生返事でその場を凌いでいた。
だが、怒りの矛先はいつも通り、傍に居る私に向いてくる。
「そもそもニールがボクを折らなければ、今こんな状況にはなってないんだよ。分かってる?」
「うむ」
誰しも不満をぶつける場所が欲しいものであって、それは精霊であっても例外では無かった。私達には個々に感情があり多種多様。私やレヴァのように達観して物事を見つめる者も居るように、ダインのように何千万年経っても子どものような者も居るのだ。
私から言わせて貰えば、持ち主の意志に逆らって動くなどと言うことさえしなければ、折られるような事例にまで発展しなかった。つまりは自業自得だと思う。
私は若干戦慄いてきた体を押さえながらダインをちらりと見やった。奴は自分の小さな体を軽く見下ろし、ぺたぺたと触った後に再度私の目を一切外すことなく睨みつけてきて言う。
「ボクとしてはね、この体はそこまで嫌いじゃない。でも小さいんだよ! 何にしても小さすぎる! 可愛い服も着せて貰えないしホントガッカリなんだよ!! どうせ器を手に入れたならボクは可愛い服が着たいんだ!! ニールみたいなダサイ奴には分からないかも知れないけど、ボクはこう見えてお洒落さんなん……」
「少しは閉じたらどうだ、その口を!!」
私は自制が出来る精霊だ。しかし、物には限度と言うものがある。私にだって付き合い切れないと思うことくらい、あるのだ。
許容の範疇を超えた話には流石に耐え切れず、結局私達は取っ組み合いの喧嘩に発展する。壊れはしないものの檻はテーブルの上から床へ転げ落ち、医者が戻ってくる頃には私達の意識は飛んでいた。疲れて寝たのか、落ちた拍子に頭を打ったのか、そのあたりは定かではない。
ただ言えるのは、確かにダインの言う通りこの体は痛かったり眠かったりと不便極まりないだろう。
生傷だらけになった腕や顔も、少なくともこの体が生き物であると言う証。一通り手当てをして貰った後、精霊の頃には無かった現象を観察しながら物思いに耽っていると、間もなく昼食の時間がやってきた。
塗られた薬が少し落ち着くまでは人型のままで居よう、と今日の昼食は両手で掴んで食べる形になる。このサイズのカトラリーなど無いので食事を終えた頃には両手がべたべたになっていたりして、こういう些細な時にもやはり不便だ、という感情が湧き上がって来るのだった。
サイズが小さいだけでなくやや幼い外見となった私に降り注ぐクリス様の視線は完全に年下に向けるそれで、
「じっとしていてくださいよ」
などと言いながらにこにこと汚れを拭き取ってくれる。
「ご主人、それくらいは自分で出来る」
「でも使った布の片付けは結局私がするんですから、このほうが早いです」
「む……」
役に立てないどころか手まで煩わせてしまっている始末。自分のことは自分でしようにも、何にしても周囲の物一つ一つが大きすぎてやりようが無い。
その歯がゆさが顔に出ていたのか、フォークを置いた医者が私に当てるように、だがクリス様に対してぼそりと告げた。
「情操教育の一環だな」
「子ども扱いするにしても度が過ぎていませんかその言い方!?」
医者の言うことに食って掛かるクリス様だったが、私としてはなるほど、と頷かざるを得ない。こう言った役立ち方もあるのだな、と。
一方、医者のほうに向きながら私を拭くご主人の手はだんだん乱暴になっていて、その強さに足を縺れさせそうになるがそこは耐える。更にそんなところにまで気付いた医者はと言うと、トドメと言わんばかりにクリス様に追言した。
「喋ることが出来ない動物だと死なせてしまいかねないから丁度いいだろう。と言うか手元、折れるぞ色々と」
「へ?」
そこでようやく私の惨状に気がついたクリス様は、もみくちゃにされていた私を見て悲鳴をあげている。弱く脆い手足は赤くなっていて、確かに何も言わずに居るといつか殺されてしまいそうだとは思った。
しかし、明日はきちんと訴えようと思うものの、いざその時になってみると私のことだから黙って耐えてしまうであろ、う……
「ぐふっ」
「国民的RPGでの死に様みたいな呻き声をあげないでくださいいいぃぃぃ!!」
他人が死ぬ光景は幾度と無く見てきた。
主人が死ぬことですらも私にとってはごく当たり前のことで、護れなかったことを悔やみながらも、その事実は記憶の隅に留めておくだけのものでしか無かった。
けれどこうして一日一日を改めて踏み締めて行くと、ふと思う。
常に死が付き纏う『生』とは、とても、とても掛け替えの無いものなのだ、と。
もし明日この命が尽きたら何にも無くなってしまうのかも知れないと考えると、思い残すことが多すぎて死んでも死に切れない。死にたくない、と『生』にしがみ付く者達の想いを私は擬似的に体験していた。
私の場合この器が壊れたならその先はまた『死』とは違う世界が待っていることだろう。新しい器に入れられるのか、それとも存在していないのとほぼ同意なあの四年間を再び繰り返すことになるのか、今はただ想像することしか出来ないが……
何が待ち受けているか分からない未来だからこそ、今この時を悔い無く過ごさなくてはいけないのだ。
私は微睡む意識の中、気力を振り絞って、横になっていた体を起こす。
「夕飯! 今は何時だ!!」
『必勝! これで貴方も勝てるヘックス!』と書かれたよく分からない、多分ボードゲームの攻略本を読んでいたクリス様が、私の叫びに驚いて肩をびくつかせた。
「えっ、夕飯ならもう終わっちゃいました、けど……」
「な、何てことだ……」
不甲斐無くも半日眠りこけていた己に対して早速悔い、私は両手両膝をシーツの上につく。
すると私が寝ていたのと同じベッドの上に腰掛けていたクリス様の腰が浮き、もう寝巻き姿なことから既に夜分遅いことが伺われるにも関わらず私の主は朗らかにこう言った。
「……!」
私を食卓へ連れて行ってくれるのだろう。今の私と大して変わらない大きさの手の平をこちらへ差し出し、乗れと促す主人の手を私は甘んじて受け入れた。
肩には乗せず、そのまま手の平で掬うように私を乗せて、クリス様は白一色の廊下に出るとゆっくり歩みを進める。
「今日の夕飯も、美味しいですよ」
献立は告げられなかったが、あと十数秒後の楽しみにしておけと言うことだろう。
「うむっ」
自然と口元が綻ぶのを感じながら、静かな揺れに身を任せた。
と、そこで一応聞いておくか、と私は主の顔を見上げる。
「ところでご主人、今日はヘックスで何敗したのだろうか?」
苦笑いで返されたのは、小さく『三回』と言う呟きだった。
【番外編 ~頭胴長七センチの視点~ 完】