空に架ける極彩の視点

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このページは、大元の小説サイトに載せた番外SSの改変verになります。
(なろう本編とは展開が若干違うバージョンの番外編の為、
少し矛盾する点がありますが、
そこまで気にならない程度なのでその部分はそのままにしてあります)

空に架ける極彩の視点

 一番昔の記憶は生まれた時のものだ。
 話す事も出来ないし、周囲の会話も理解が出来なかったから覚えていない。
 常人ならあり得ない視力を生まれた時から備えていたけれど、目に映っている光景が何を意味するかまでは、その当時は分からない。
 ただ俺はそれを映像として記憶している。

 今でも思い出せる鮮明な映像は、今なら意味が分かるわけで……
 元々特異な種族ではあるものの、前例の無い魔術紋様を背に刻んで生を受けた俺を見つめる大人達の目は、分かりやすいくらい恐怖に濡れていた。
 瞳を閉じて頭の中の引き出しを開ければ、すぐにその光景が昨日のことのように思い浮かべられて、

 自分がそういう存在なのだ、と
 いつ、どこででも、戒めさせてくれる――

 人との見えるものの違いに気づいたのは三歳くらいの時で、何となく描いていた絵を指摘されたのが切っ掛けだった。
 俺が描いた絵に、周囲の大人は随分と引いていたのだ。それもそのはず、スケッチブックはクレヨンの様々な色を駆使してぐちゃぐちゃに塗り潰されていたのだから。
 黒一色の方が余程マシだろう。
 ただ無作為に塗り潰されていただけならば、そこまで周囲に気にも留められなかったのだろうが、そうでは無い。

 俺は必ず、他の子が描くような絵を描いた後に、更に『何か』を二度、三度と上塗りしていたのだ。
 ……何度も、何度も、そりゃあもう頑張って視えているもの全てを塗って完成させる。
 すると、たちまち異様な絵の出来上がり。

 隣の子が描いている絵や、一般的な肖像画。
 そういう物と見比べてようやく俺は、この、霧か靄かと言うような色は、他人には見えていないと把握する。
 空は普通は青色だけなんだ、空気って本当は透明なんだ、そう言った当たり前のことってなかなか書物に書かれていなかったりするから、言われなきゃ分からない。

 他人が見えていないらしい『周囲が纏っている色』の意味を把握するまでには、そこから結構時間をかけた。
 この色をこの部分に纏っている奴はいつもこうなった……
 そんな例をいくつも見ながら、積み重ねていく事で何となく把握していって、それはやがて確信に変わり、俺は予言めいた事を口にする奇妙な子どもになる。

 占いをしているわけでも無いのに変なことを言い出して、しかもその予言が次々に当たり始める始末。
 そんな幼児、そりゃあ誰でも怖いだろう。
 そこまで広くもないルドラの里で、気付いたら孤立していた。いつからなのかこの俺でも分からないくらい、自然と、ね。

 でもだからと言って、視えているものの意味が分からないのは何となく気持ち悪くてさ。
 とにかくそれらをよく観察することで、自分の視えている『色』が示すものについての知識を貯えていく。
 幸い、記憶力は良いので覚える事自体は問題無かった。

 特に分かりやすいのは災難。死に魅入られた色って言うと多分普通の人は黒とか言うのかな?
 でも俺からすれば纏う色が極端に薄れてきた時が怖い。そういう時は大抵近いうちに……壊れたり、死んだりしてしまうから。
 色が無いことこそが、俺にとっての恐怖の対象だった。

 ちなみに、こう見えても末っ子の俺は、里の中どころか家族にも避けられていたんだよ。
 予言が当たるだけじゃなくて、考えていることも抽象的ではあるけれど視えているから、そこをあまりに何度も指摘していたら、流石に『心も視えている』って気付かれたらしい。
 幼い頃の俺はただ単純に気になっただけなんだけど。

「今、何で嘘を吐いたの?」

 じゃあ本当は何と言おうとしていたのだろう。気になる……よね。
 今でこそ隠した本音が何なのかくらい想像がつくけれど、当時は本当に分からなくて、純粋に教えて欲しかった。それだけだった。

 でも嘘を吐いてまで隠す本音を、誰が言いたがるだろうか。
 人との距離はどんどん離れていく。

 あ、別に寂しいだなんて俺は思った事が無いよ。
 予言が無くとも最初から気味の悪い……得体の知れない前例無しの『天然持ち』だった俺にとって、気づいた時には「それ」が当たり前だったのだから、それ以上の『普通の幸せ』とやらを願って悲観するような価値観はまだ持っていなかったんだ。

 この力によってその距離が最初の頃より更に伸びただけ。元々離れていたんだから、大した問題じゃない。
 距離は置かれていたけれど別に直接的にいじめられていたわけじゃないし、精神的には良くも悪くもない。
 ただ……ここに居ても居なくても同じなら、もっと色んなものを見てみたくなるのは普通のことだと思う。
 里の物は見飽きた。手に取れる本も読み尽くした。

「出掛けてくるね」

 それが母親に投げ掛けた最後の言葉。
 最低限の会話しかしていないだけあって、その言葉は実に数ヵ月ぶりの会話だったと思う。父親や兄達にまでわざわざ顔を見せようとも思わなかったし、至極あっさりとした別れ。
 そうして俺はルドラの里を後にした。
 親兄弟が俺に何の情も無かったように、俺も彼らに、いや他人に対して情など持ち合わせていなかったらしい。

 確か里を出たのは八歳かそこらだったと思うけど、俺はただ普通の人には視えないものが視えるだけでなく、見たもの全てを記憶してしまう。
 誰とも遊んで貰えなくて一人ぼっちな俺は、自然と本の虫になっていたわけで、国の地理や情勢から植物の知識まで完全に記憶していて、幼くとも旅をするのに困る事なんて無かった。
 あえて言うなら、俺の力と腕じゃあ動物を狩るのだけはキツくて、何の道具も無かった最初の間は、肉だけはなかなか食べられなかった思い出がある。
 でもそんな悩みはすぐに無くなったよ。
 街にさえ辿り着けばもう俺はやりたい放題。この目を使えば簡単にスれるし、スッた小銭を元に後は博打で当てるだけ。

 でもまだ里の外というものを本当の意味で理解していなかった俺は、自分がどんなに目立つ存在かと言う事を分かっていなかったんだ。
 珍しい種族であるルドラの民は、額にもう一つ目があると言う一目瞭然な特徴がある。
 その種族の幼い子どもが調子に乗って荒稼ぎ。最初の街では一気に有名になってしまった。

 どんなに様々なものが見えていようとも暴力には勝てない。その街の裏を牛耳っていた集団に簡単に捕まってしまい、博打に勝ち続けていた種明かしをさせられる。
 最初は信じて貰えなかったけれど、目の前で当て続けてやったら連中も取り敢えずは認めてくれた。

 でも、折角里を出たって言うのに、そこからこの力をそいつらの為に使う事を強要されて苦労したんだ。
 見たくもないものを見せられ、俺の発言一つで生死が分かれる奴も居て……あれは凄く怖い。
 人間、あんなことを平気で出来てしまうのだと、書物の歴史等ではなく直に見せられて、心の底から実感させられる。
 元は善悪の区別もいまいちついていない子どもだったけれど、自分が暴露してしまったせいで死んでいく人間を目の当たりにしても平然としていられるほど壊れてはいなかったらしい。
 異常とも言える環境においてようやく俺にはまともな価値観が芽生え始めていた。

 言ってはいけないことがある。
 してはいけないことがある。
 反面教師とでも言えばいいのか。連中を『おかしい』と思えたお陰で常識と言うものについて考える機会が出来、自分がそれに同調出来るかはさておき……普通はこうなんだ、と世間の視点で物事を見る重要性を知った。
 あくまで子どもなりに、ね。

 その集団内の毒を排除し終え資金も貯めさせ、一通りやる事を済ませた俺は、勿論そこを去るべく逃がして貰えないかと願い出る。
 能力の便利さから一応引き留められはしたけれど、それと同時に考えている事を傍で把握され続けるのは苦痛でもあったのだろう。
 運が良かったと今なら思えるよ。
 殺されることも無く、割と素直に解放して貰ってその街を出た。

 それからはまた改めて、沢山の色んな土地、色んな人を見て回った。
 里に居た頃には分からなかった色の意味もまた少しずつ把握していき、深く関わりはしないものの、人との接し方をゆっくりと学んでいく。
 でも、小さい頃に培われてしまった価値観を直す事は容易ではないので、頑張って普通であろうとしていても、結局俺は変な奴に違いないだろう。
 それと、たまに口から漏れてしまう俺の『真実を突き刺すような言葉』と、それに対して相手がどう感じたかも見えてしまうから、やはりどこの街に居ても……

 居場所は作る事が出来なかった。

 これが俺の、君と出会うまでの何てこと無い過去。
 ここからはあの、たまたま滞在していたツィバルドでの事を語ろうか。

 大陸北の主要都市であるあの街で、今日は何をしようか、と特に目的も無く歩いていたら、俺を珍しげに見つめている女の子と目が合う。
 あまり里を出ないような、且つ、目立つ種族の俺にとってそこまではよくある事なんだけどね、でも俺からしたらその女の子も随分珍しかったんだ。

 視たことが無い。
 それは俺にとって何よりも興味をそそられる事由。君が特異な存在であることだけは一目で分かる。
 だからちょっと一体どんな人物なのか知りたくて、接点が欲しくなったのさ。

 俺と目が合って気まずかったんだろう。すぐに目を逸らした君に近寄って、俺は君が身に付けている物の中で一番異質な色をしていたポーチをスッてみる。
 これだけ分かりやすく堂々とスッてやれば君は俺を追いかけてくる。
 別にお金に不自由しているわけじゃない俺は、物が欲しいわけじゃなくてただ遊びたかっただけだった。
 でもしばらく走ったところで君は俺を見失い、手元に残された皮のポーチ。
 正直あれは計算外だったよ。これじゃただの泥棒だもんね。
 取り敢えず一ヶ所に滞在していれば見つけて貰えるかな、と酒場に入ってエールを注文し、飲みながらポーチの中身を確認する。
 中から出てきたのは大量の金貨と、琥珀のネックレス。
 金額を考えると盗んだのかと思ってしまうが正規に手元へ来たであろう真っ当な色を纏う金貨。
 逆にネックレスは……盗品だ。でも色の薄れ方からしてあの子が盗んだわけでは無い事も分かった。
 そしてそのネックレスこそがポーチをも異質な色に染めていた原因で、天然持ちが取り込めばうまく使えそうな『力』を秘めた物だと把握する。
 その時は、興味が湧いたといっても所詮他人。
 ネックレスだけ服のポケットに仕舞ってポーチを閉じ、俺はまた普通に飲み始めた。

 そこへやってくる、君。
 ……と、これは驚き、エルヴァンの第三王子。
 あまりの人物の登場に、一瞬変わってしまった顔色をすぐに元に戻し、どんな関係なんだと君達の色をしっかりと見る。
 二人の先の色は、見える範囲ではほぼ同じ色だった。
 それはつまり、これから当分の間君達が寄り添い続けるであろう事を示している。

 関係はちょっとまだよく分からなかったけれど、とにかく君の隣で偉そうにしている王子様の印象は最悪。
 色も何だかぐっちゃぐちゃと重なり濁っているし、そもそもそんなの見なくたって分かるくらい、態度に性格の悪さが出ていた。
 ムカつくからネックレスを持って逃げてやったんだ。
 俺は逃げるのだけは得意だからね。
 面白半分で逃げるだけ逃げて、もう半分は力の増幅への欲求から、俺は君達の前でネックレスを本気で取り込んでやろうとあの時は思っていた。

 でも邪魔が入って、あとは知っての通りの流れ。

 相変わらず王子様はその後も嫌な人全開で俺をいい様に扱うし、もう、ね。凄く腹が立ったよ。
 悪人とはまた違った傲慢さがあるよね、彼って。
 あんなに他人に対して腹が立ったのは初めてだった。
 逆に言えば……そうやって他人を嫌えるほど、俺は他人と接して来なかっただけなんだと思う。
 と言うか、初対面であんな風にずかずかと入り込んでくる人なかなか居ないから当然か。

 当たり障り無いことを言うことすら忘れて直球で話す俺に対して、王子様も悪意を剥き出しにして話しかけてくる。
 よく考えると笑える話だよね。
 それって何だかんだで壁が無くなっちゃってるってことなんだから。
 その時は気付かなかったけどさ。

 王子様のアクの強さもなかなかだったけど、君は君でやっぱり俺にとっては珍しい人だった。
 俺が視えているものは所詮色だけでとても曖昧だ。
 だから別れ際、ルフィーナさんに視えたものを言う時は凄く迷った。ほとんど確定だろうなって言う内容はさておき、あんなぼんやりとした未来なんて伝えても怪訝な顔だけされて終わりかねない。

 けれど君は嘘の無い色であんな俺の言葉を素直に受け止める。
 ほんと、何一つ疑ってないんだもの。逆に俺が信じられないくらい。

 たった少しの間だったのに、二人との出会いは俺に初めて『また会いたい』と思わせてくれるものだったんだ。

 そんなこと、家族にだって思ったこと無いのにさ。
 
 
 
 俺の両目は、俺の背中だけにある他の誰にも使えない特異な魔術紋様と繋がり、俺に様々な色を追加した世界を見せる。

 ルドラの民の特徴である額の第三の目は、本来の目としての役割を果たすものではなく占い等に特化した呪術的要素を体内に宿す、一種の一族共通の魔術紋様のようなもの。
 だから、もしかすると額の瞳だけ潰せば背中の魔術紋様の効果も一緒に消えるかも知れない。 
 もしこの力を疎むなら、その手に賭けてみる選択肢もあっただろう。

 だけど俺はこの力を、むしろ尊く思っていた。
 里の外を出たなら分かる。この力がどれほど使えるもので、どれほど求められているか。
 ルドラの里では随分嫌がられていたけれど、唯一無二の魔術紋様は俺にその後、富を与えた。
 自分達とは違う力に内心恐れ戦きながらも、擦り寄って来る者はいくらでも居たのだから。
 自分を視られるのは嫌なくせに、視て欲しいものは沢山あるんだ。

 無能で、

 醜い連中。

 周囲が俺のことを同じ人間として見ないように、俺も彼らを自分と同じだなんて見ない。極端に言うなら下等な人種だと見下していた。
 元々世間で天然持ちは、他とは一線を画す能力故に、恐れられながらも重宝される人材でもある。
 俺はたまたま持ち合わせた力が過去に無いものだったから、そして、人の尊厳を踏み躙れるほどのものだったから、最初にそういう扱いを受けなかっただけ。
 他人と当たり障り無い付き合いを続ける分には問題無いし、必要以上に他人を求めるほど、他人を良い存在だなんて思えていなかった。

 でも、そんな考えに疑問が生じる。本当にそうなのか、って。

 俺は確かに自分の能力を話して、最終的に君達は信用した。
 普段ならその時点で俺と他人の間には分かりやすいくらいの隔たりが出来ているはずなのに、俺に視られることを少しも恐れていない二人の存在は、俺に、他人に受け入れられることの心地良さを教えてしまう。
 色んなものが崩れそうになった。
 でもあの最初の出会いが短かったから、俺はそれを一時の気の迷いとして心の片隅に留めるだけで済んだんだ。

 そして、ほんの少しだけ……他人を見る目を変えることが出来たんだよ。

 俺が接触を持つ人間関係は、どうしても表を堂々と歩けないような連中が多い。
 だから君達と別れた後も結局は人間の醜い部分を視ることがほとんどだったけど、そんな彼らですら全部が醜いわけじゃないんだ。
 もっときちんと視たら、優しい色を帯びる時がある。慈しむ心が必ずある。何を愛でるかは人それぞれで、時に倫理に反するようなことに対してその色を纏う時もある。

 けど、それこそが俺の求めて、願ってやまない真実だった。

 君の瞳に映る世界が本当はどんなものなのか、絵を見て写真を見て、想像は出来るけど真に知ることは俺には叶わない。
 同じように、君が、俺の視ている世界を知ることも叶わない。

 ――でもそれって、君と、俺じゃない他の誰かでも同じことが言えるんだ。

 俺以外の人間、君達の瞳に映る映像そのものは俺と違って共通しているはずなのに、決して同じ世界を見ているとは限らなくて、それは少しずつ差を生んで重ねてゆく。

 簡単なことだったんだよ。
 広い目で見たなら、『違うことこそが全ての共通たる揺るぎない事実』なんだ。
 皆と違う俺は……つまりは皆と同じでしかない。

 君は俺を大人になった、と。随分変わった、と言ったけど……もしそう見えると言うのなら、自分と違う他人を許容することが俺をそう見せているんだと思う。
 俺が変わったのなんてそんなところくらいだからね。
 しかもそのキッカケは、君と、ちょっと気に食わないけどあの王子様なんだけどね。

 とある寒い日の、ほんの小さな出来事。
 俺が俺を乗り越える為の、一番最初の光。
 まだそれに気付くだけじゃ、俺は本当の意味で変われてなどいない。
 多分俺が『その先』に進むことが出来ても、きっと君は俺の何が変わったのか分からないだろう。
 だって君は、俺が『その先』に居ないこと自体を、知らないのだから。
 
 
 
 それから四年以上経ち、俺はまた君を見たいと思う理由が出来て、現在居るのであろう王都に立ち寄った。

 実を言うと王都は本当に少ししか滞在したことが無いんだ。
 何しろ場所が場所なだけに俺の商談相手を見つけ難い。様々な種族が混じる街と言う意味では俺にはむしろ過ごしやすい環境だとは思うんだけど、軍のお膝元では俺に大金叩いて依頼をしてくるような連中自体、早々表に出て来ないのさ。

 ちなみに四年も経ってから思い出したように会いに行ったその理由は他でも無い、あっという間に広がっていた噂話を耳にしたからである。
 各地で王子様とクリスであろう存在の話は聞いていたものの、今までは然程気に留めるような内容じゃなかった。
 それが今度はどうだ。
 東の地で街を襲った大型竜を一人で討ち取った少年が居る。
 それも軍の人間ではなく得体の知れないフリーの雇われ用心棒。これが軍人なら英雄だっただろうに、クリスを知らない世間一般は、その本当に味方なのか確信の持てない少年の存在を恐怖の対象としか捉えていなかった。

 勿論噂は噂。だが竜が襲った場所がよりにもよって人目の少ない田舎などではなくモルガナの中心地だと言うのでは、ただの噂として聞き流せず信憑性を帯びる。
 竜を素手でぶん投げただとか、トドメは剣一本だったとか、その少年の姿形は異形のものだったとか、どこまでが本当なのかは分からないけどね。

 久方ぶりに出会った君は……何も変わっちゃいなかった。身長や顔立ちは勿論、色も。
 ぶっちゃけて言うとそれって何の成長もしていないことにもなるけど、見えたもの聞いたものをそのまま受け止める君の性格は、擦れている俺からしたら良いものに感じる。
 人を疑ったり勘繰ったりだなんて、本当はしないほうがいい。

 いや……君の場合はもうちょっと疑おうね、と思う事もあるけどね。

 天然持ちが何かを取り込むには、一旦体の内側に入れる必要があるんだ。
 ネックレスだって別に飲み込むわけではなく、口に咥えるか含むなりすればいい。ちなみに、宝石のような類の物なら手術して皮膚の中にでも直接埋め込んだほうが効率的だったりする。
 そして、再会したあの時、先生はクリスの中の精霊を取り込めるか『既に試した』後だと言っていた。

 体内に宿ってしまっている精霊とやらを、もし天然持ちが力を取り込む要領で抜き取る場合はどうすればいいと思う?
 そう、一番簡単な方法は口吸だ。キスだよキス。
 クリスの知らないところで、多分寝ている時にでも試してたんだよあの人!
 初対面の時点で先生がクリスを好きなのは視えていたし、そんな人が何してるのって最初は正直嫌悪を彼に抱く。
 まぁその後に手伝った実験ですぐに、勘繰り過ぎていたかな、とは思ったけど。

 精霊を取り込むにしてもレフトさんの能力よりは先生の能力に使ったほうが余程実用的だし、放っておいたらクリスの体を蝕むのは明らかだった。
 それに何しろ先生の中の価値基準は随分と研究に傾いているようだったからね。多分あの人はクリスが男の子でも同じことをしそうだと感じたから、俺はそれ以上は閉口する。

 ちなみに俺が手伝ったあの時、君の中の精霊を直接取り出したのは先生ではなくレフトさんだ。
 カルドロンを行使する瞬間を実際に見たのは初めてだったから驚いたよ。
 奪った物を、与える力。
 多分あの実験は最後の手段に等しかったはずだと思う。

 俺が手伝ったのは、奪いすぎない為の匙加減の辺り。
 一つ間違えたら君が死んでもおかしくない実験、いや、儀式に立ち会う恐怖。クリスに死の気配は無かったとはいえ、あの緊迫感は忘れられないものとなる。
 俺が来たことでリスクが大幅軽減されたとはいえ、それを行おうと言う決断と、終わった後の二人の安堵の表情は、俺の心にまた深く何かを刻み込んだ。

「……よく、本人に内容言わずにやったもんだよね、こんなこと」

 何も知らずに寝台で眠りこけているクリスを見下ろしながら俺が言ったのは皮肉。
 出会ったばかりの獣人の兄妹に視えた優しい色を、何故かその時の俺は疎ましく感じていた。
 力を行使して疲労している妹を介抱し終えた先生は、そんな俺の皮肉に何の不快感も抱かず答える。

クリスは事実を全て受け入れられるような度量はまだ持ち得ていないからな」

 気遣いには違いないが、その時の俺にはそんなこと断定出来ないのではないか、と疑問が浮かんだ。
 でも、様々な感情の色を視ている俺よりずっと……彼らは他人の心を読み取っていたことを、後に先生の言葉が現実となった時に俺は実感する。

 
 それはごく普通に視えていた色だった。
 クリスは何かに怯えていて、でもその時俺には一体何に怯えているのかさっぱり分からなくて。
 何となく問いかけた言葉が、簡単に人を傷つけていく。
 君自身も分からない不安の正体は、無意識下でありながら肉体にまで影響を及ぼしていた。
 受け入れられなかった事実を心の奥深くに仕舞い込むと言う、一種の防衛本能であるそれを、俺は勝手に視て暴いて、傷つけたんだ。

 そしてその後初めて見た、クリスの普段とは違う姿。噂で聞いた異形の者。俺の知らない生き物、種族。
 勿論驚いたし、少し怖かった。
 クリスなんだって分かっていても、怖いものは怖い。作り話に出てくるような悪魔みたいな特徴に加えて、姿を変えた直後に君の纏っていた色は、それまでの君のモノじゃなかったんだもの。
 クリスのようで、クリスじゃない。
 あの時君に視えた色は、後で君が持つ赤い剣に移って変わっていた。よく知らないけど深い事情があったのだろう。

 ――あぁこれが周囲に畏怖される、個であり、孤の姿なんだ。

 俺もそういう風に見られる類の存在だけど、自分自身を怖いだなんて思えないから、周囲が自分とは異なる存在に抱く恐怖という感情は想像することしか出来なかった。
 でも君を見て、直に感じる。
 自分と違う他人を、怖いと思う瞬間を。

 俺を嫌う連中は、こんな感情を俺に対して感じているのだとしたら……それはもう、仕方が無いんじゃないかと言うくらいに思えた。
 なのに、君が自身を忌々しいと思う原因のその姿を見ても、そんなこと気にも留めないあの王子様の許容力。

 あれから俺は、君達が気になって仕方なくなった。
 君達の為に、普段なら絶対に首を突っ込まないようなことに何故か突っ込んでいたり、二人の行く末を見たくてあんなに同じ場所に滞在までしてしまう。
 ただの興味本位だとその時は思っていたけど、今なら分かるその理由は、自分を嫌いだなんて思ったことも無い俺に、初めてその感情を抱かせてくれたよ。
 もうほんと、君達と出会い接してから初めて尽くしで……ある意味とっても大変だったんだ。

 あぁそれとこれは余談だけどね。
 ムッツリスケベだなんて言われたのも初めてだからね!
 せめて恥らうくらいの態度は見せてくれないと困るものの、それを大きく通り越して無駄過ぎる警戒をされても、それはそれでやっぱり困る。
 でもそれ以上に俺として許せないのは、先生との扱いの差だ。だって矛盾し過ぎてる。
 何もしていない俺がスケベ扱いで、ちゃっかり手を出してる先生はまるで紳士のように扱われるってコレおかしくないかな。いや、おかしい。
 下心が顔に出なければクリスは何っっにも気にしないんだから。それともアレかな、顔が良ければ許される?
 どっちにしてもムッツリスケベとか言う不名誉な称号は早く取り消して欲しいね。
 ……現在進行形で使われているワケだけど。

「酷いよっ」

 ムッツリスケベと蔑まれ、スルー出来ないレベルの酷い扱いを受け、なのにやることやってる先生には今まで通り優しい態度、どころかちょっと異性としてイイ意味で意識してますよみたいな理不尽過ぎるこの状況。
 俺にもそうしろとか、そういうんじゃない。その逆で、俺と同じ扱いを先生にもしろと言いたい。声を大にして言いたい。

 王子様を連れ戻すことに失敗して戻ってきたあの晩。最初はお酒を買って来て一人で飲んでいたけど、気付いたら俺は残りの酒瓶を持って先生の部屋に押しかけていた。

「本人に直接言ったらどうだ」

「言っても納得のいかない言い訳が返って来るのが目に見えてるね!」

 飲み始めたばかりの先生はまだ着いて来られないらしく、ちびちびと口に含みながら頬杖を突いている。
 呆れ顔の彼の言葉はあくまで俺を宥めるようなものだった。

クリスは聞き分けが良いほうだと思うんだがな」

「俺もそう思ってたさ、今日まではっ!」

 元々量を飲まないと酔えない俺のペースはいつにも増して早い。自分でも半ば自棄だろうなと思いつつ、注いでは空けて注いでは空けて。

 そう思っていた……のに何だか酷く裏切られた気分で、君の中の俺が反転したように、俺の中の君も反転される。
 まぁよく考えてみたら出会った当初からその片鱗は見ていたのに、自分が被害者じゃなかったから意識してなかったんだ。
 それと、再会後に至ってはクリスの片想いは、いわゆる両片想いにまで成就しかけていたって言うのに、どうしてこんなことになっているのか。
 王子様には婚約話が今頃になって持ち上がり、現在はクリスを突っ撥ねて一人やらかしている。

「納得、いかない……」

「何がだ」

「鈍感なクリスはさておき、王子様が何をしたいのかさっぱりだ。自分を追い詰めて悲劇の主人公にでもなりたいのかな」

 俺にはどうも自覚無自覚関係無しに、本当の気持ちの色しか視えない。だから王子様が自分の気持ちに気付いているのかどうかは判断出来ない。
 でも、あの人がそこまで鈍いとは流石に思えなくて、その感情と行動の噛み合わなさに他の理由がつけられなかった。
 だから……捻くれているだけ。そう思ったからクリスに素直になることを促したんだ。
 この時俺の気持ちは自分のことでも無いのに凄くもやもやしていて、この場に居ない王子様のことを考えて悪態を吐く。
 先生はそれでも自身の感情を挟まずに、客観的に意見を述べた。

「背負っている事情を全て聞かないことには判断出来ないだろう。一片だけ捉えてそう言うものでは無いんじゃないのか?」

 冷静な大人の意見。
 でもそう言いながら先生も俺と同じようにちょっとは怒っているのが視える。俺にその色は向けられていない。と言うことは王子様にだろう。
 鋭い金の瞳は何の違和感も見せない、相も変わらず完全なるポーカーフェイス。眉一つ動かさずに言えるんだから恐ろしい。羨ましい。

「そうなんだけどさ、俺にはどういう状況なら好きな人を撃てるのか分からないよ。それこそ、自分に酔ってでもないと」

クリスは精霊武器を持っているからな、普通に相手したんじゃ追い返せなかったんだろうよ」

「だから撃って、傷つけるの? 酷い話だね」

 先生は黙ってた。喋ることを一旦やめて、でも飲み進めるわけでも無い。
 性格がよく表れていると思う整頓された室内は、俺はあまり読まないような化学の本の他に品の良い小物が綺麗な間隔でインテリアみたいに置かれている。
 ずっと見ていても飽きないような面白い揺れで時を刻む水晶時計を見つめている先生と一緒に、何となく俺も同じ物を見ながら気付けば瓶は三本空になっていた。

「王子様だけじゃない。クリスレイアさんも建前や奇麗事ばかりでちっとも好きな人を相手にしているとは思えない、俺には」

「……そうか?」

「そうだよ、全然真っ直ぐじゃないんだもん。って言うか今何考えたの先生。ちょっと変な色視えたんだけど」

 表情は変わってなかったけど、一瞬俺を視た時の色は、呆れてるとか馬鹿にしてるとかそんな感じのもの。
 勿論視えたからには問い質す。
 先生はそこでようやく表情を少し困ったように動かして、

「敢えて言わなかったことを聞くのか」

「俺には視えるんだから、言って」

「……聞いても良いことなんて無いぞ」

「いいよもう何でも! 言って!!」

 大体嫌な色だったんだから、俺にとって気分を害するようなことだってのは分かってるんだ。その上で聞いてるんだから遠慮なんてしなくていいのに。
 ちょっと強めに叫ぶと先生は、眼鏡の位置を整えることで気持ちを落ち着かせるように、表情を元の無表情へ戻して言った。

「その年で恋の一つもしたことが無いのか、と思っただけだ」

「あっははははは」

 あまりにおかしくて取り敢えず大笑いした俺は、一頻り笑ってから息を吐き切ったところで思いの丈を叫ぶ。

「出来るわけが無いよ!! 悪い感情も全部視えちゃうのに!!」

 俺がもし誰かを好きになるのなら、その人はきっと物凄く人間離れしたような聖女に違いない。
 でも、

「本当に……したことが無いんだな」

「どういう意味?」

「皆、完璧な相手を好きになっているわけじゃない。お前のように感情の色が視えずとも、悪いところくらい分かった上で好きなんだ」

「あー……そりゃそう、だよね」

 確かに出来ないことは無かった。
 視えている分その悪いところに他の人以上に囚われてしまうけど、だからって出来ないことは無い。
 でも思わず出来ないって答えてしまったのは……先生の言う通り、したことが無いからなんだ。

「お前が言っているのは一般論で言うなら恋より愛だ。相手を尊重する姿勢が見えないから疑問に思っているのだろう? あいつらはまだ皆、求めることしかしていない。だから建前を上塗りして自分を守り、その上で望む」

「何か歪んでるなぁ」

 最初ちょっと飲んでいただけでそれから酒を飲もうとしない先生は、むしろそっちのほうがメインと言わんばかりに煙草を取り出し、ゆったり煙に撒かれて言う。

「恋愛なんてどこか病んで歪んでいなければ出来ないさ」

「さっぱり分からないや」

 そう言うなら先生も病んでいるのだろうか。
 でも俺としてはちょっと手が滑りつつもきちんと正面から想いを伝えて、なのに押し付けた様子の無い先生の態度は、病んで歪んでいるようには見えない。
 悔しいけど俺がイメージする『人を好き』って言うことに、先生の在り方は随分と近かった。
 視て、読んで、聞いて、頭では納得しても、俺には分からない。未だに他人を必要以上に求めたいなどと思えない。
 いやまぁ触ってみたいとかそういうのはあるんだけど、そういう動物的なことじゃなくて、人間的な意味での話。

 物語には沢山の人達の色々な気持ちが書かれていて、特に人間を象徴する恋愛というものは世に腐るほど語り継がれている。
 どこかのお姫様の悲恋、騎士の忠愛、冒険譚ですら大抵どこかに恋愛エピソードが挟まれていたりと、よりどりみどりだ。

 でも所詮、知識は知識。経験していない俺には読み聞き出来る部分の『分かりきったこと』しか言えない。それで想像するしか無い。
 だから会話していて先生にあっさりとその点を見透かされてしまった。
 別に隠しちゃいないけど、正直ちょっとショックだったよ。
 つまり俺なんて普通よりちょっと視えるヤツなだけ。百聞は一見に如かず? でも百聞百見しようとも一つの実経験には及ばないってことさ。

 理解することを諦めた俺は、そろそろ自分の部屋に戻るかって一度は思った。煙たいし。
 でも丁度その時先生が俺を哀れむような色と視線を送ってきたのでまたしても聞かずには居られなくなる。

「今、何考えてたの?」

「いや……ムッツリスケベが綺麗な愛を夢見る童貞じゃ洒落にならないなと」

 聞いた瞬間、精一杯の反論の意味を込めて俺はテーブルの上の酒瓶の中身を先生目掛けてぶち撒けて煙草の火を消してやった。

「俺はムッツリじゃない!!」

「……否定するのはそこだけなんだな」

 酒を被っても冷静で居られるのかこの人はもう……
 それから、俺は先生に無理やり飲ませながら最終的に持ってきた酒瓶を全部空けていたらしい。途中から酔いも回って意識が飛んでたけど、起きた時の惨状が酷かったのでちょっとだけ騒いじゃったのは分かる。
 普段は一人で飲むばかりだから、珍しく他人と飲んでペースが分からずに歯止めが効かなかったんだきっと。うん。
 これまでも俺はちゃんと人並みに他人と接することは問題無く出来ていた。
 頭の中で何を考えていようが、基本当たり障り無い会話だけならば自分を抑えることなど造作も無い。
 ただ、他人と接する時間が増えれば増えるほど、それは難しくなる。そして、相手の事情に気持ちが入れば入るほど、感情が動き口をついて出る言葉に棘が出る。

 君が王子様の帰還と共に身柄も解放された後の話。
 何らかの心境の変化があったのだろう。今までとは明らかに違う態度、表情、色が君を変えていた。
 ……あんまり、見ていていい気分じゃない。
 後ろ向きに迷っている君は、そうだね。普通だったよ。もう、見なくてもいいかな。そう思った。

 君が特別な存在であることには変わり無いのに、その変化を不快に感じ、俺は目を背けようとしたんだ。
 やり取りを見ながらクリスの感情の変化は面白いくらい王子様に左右されていて、原因も何となく把握する。
 でも……もう二人の間の色は、以前視えていたほど濃く混ざっては居なくて……

 少なくとも君が求めるような未来は、先には無い。

 その事実に何故かまた、苛立つ。
 更にそんな俺に追い討ちをかけるように、自分の利益の為に俺の袖を引く王子様。本当は居て欲しくもないくせに利用しようとしてくる。
 嫌な、人。
 言いたいことを言ってやったさ。やっぱり俺、この人には気を遣って話すことが出来ないみたい。
 俺に仕事を依頼するだけして王子様が去って行った後、彼が去ることで君の気持ちは落ち着いているようだった。つまりは、もう君達は一緒に居てもプラスに影響し合わないんだろうな、ってその時内心思う。
 しかも自分のことじゃないって言うのに俺までもが一緒に落ち込みそうで、俺は君を元気づけることで自分を保っていたんだ。

 諦めなよ。

 それが俺の結論。
 諦めたらきっと、少しは楽だから。
 ……でも、何でこんなに君が傷つき落ちる様を見るのが嫌なんだろう?
 まだ自分が一体何を求めているのか分かっていない俺は、この不快な感覚をただ押し殺すことしか出来ずに苦悩していた。
 君の感情が揺れるのを視ては、少しでも自身を落ち着かせるようにその悩みをはぐらかしてやる。
 俺に救うことは出来ない。ただ、誤魔化すだけ。
 救ってあげられる唯一の人は、それをしてくれそうに無いから。

 人と人との関係には、良いもの悪いものがある。友達だったり、仲間だったりしても、それが必ず良いものとは限らない。
 お互いを必要としているにも関わらず、それがお互いの膝を突かせるような負の関係って言うのがあるものさ。
 今の君達はまさにそれ。
 原因も理屈も分かっているのに、俺にはちっとも理解出来なかった。優しくも何ともない嘘を重ね合い、悲哀の色に満ちる二人の姿は……酷く滑稽に見える。
 全てにおいて正直、素直であるべきだ、なんて思わないけど、そんなところを偽って何の益があるのか。

 そうなんだ。
 俺は損得の判断基準でしか考えられない。何も生まれなくなってしまった君達のやり取りの意味がさっぱり分からない。
 感情だけ視えてもどうしてそうしたいのか、そう在りたいのか、そこに内包されているものは視えないからね。
 そうやって表面だけ偽り、自分と相手を傷つける深い『理由』を思いつけるほど……君達のことを知らないし、そもそも他人のこと自体を知らなかったんだよ。

 でも、悪意って何であんなに分かりやすいんだろう。
 優しさや気遣いよりも、ずっと簡単に相手に伝わるあの感情。
 それは、視えずとも、真っ直ぐ突き刺さっていた。

 東の地、モルガナの最端で君の負の変化を助長するのはあの白緑の髪の男。何をしたいのかも分からないし、その感情は遠隔操作されている人形であるが故に視えるわけでも無い。
 でもあの男の悪意ある言葉は、理解し難いものにも関わらず放たれる度に君を歪ませる。
 耳で聞こえてはいないものの、俺は黒尽くめの男の相手をしながらなるべく君に視線を送って唇を読んでいた。流石に直視は出来ないから全部の会話は把握出来なかったし、基本は君の色を視るくらいだったけど。

 これ以上『その色』を濁さないで。
 やめてくれ、お願いだから。
 そんな懇願をするわけにもいかない状況で、俺は平静を装って君達のやり取りとそれによる変化を、やっぱり……横槍を入れて誤魔化すことしか出来なかった。
 どこから沸いてくるのかも分からない身を斬られるような思いに、俺は俺で静かに耐える。
 どいつもこいつも、敵も味方も、無い。
 君の心が濁ってゆく原因となる全てが疎ましい。

 視ていると俺も同じように汚されていくような気がして、いや実際そうなっていたと思う。
 その後の王子様への態度は自分でも分かるくらい……八つ当たり以外の何物でも無かった。あれだけ棘を取らずに言葉を口にすれば、内容はどうあれ相手の気分を害することなど当然だ。
 モルガナの宿でも、城に帰還した後の晩も、俺自身がもう嫌な奴。

 『王子様と同じ物を』と要求して出てきた、そこらの店では手にも入らないような上質のウシュクベーハーは少量でさっくりと俺の意識を飛ばしてくれていた。
 嫌なことも全部、見たからには記憶してしまう俺が唯一『記憶しない時間』はこれしか無い。
 意識が飛ぶか飛ばないかその瀬戸際は記憶が残らないだけでなく、脳が麻痺して嫌なこと自体を考えられなくなるからその瞬間に縋るように飲み溺れる。
 その先にあったことが記憶になくとも、あの感覚だけは体が覚えているんだ。

 人間は忘れるからこそ、心を保てる。
 ほんと、そう思うよ。
 一時でも何も考えられない瞬間が無ければ、気が狂いそうだもの。

 実際、俺は今までに無いくらい掻き乱され、狂わされていた。
 ――これが、他人と深く接していくと言うこと。

 君が淀んでいく様に何故か怯え、見届けたかったはずなのに見たくなくなり、逃げたくて仕方ない。これ以上関わっていたくない。
 自分が自分じゃなくなるような感覚に恐怖さえ覚え、早くこの場を去らなくては、と駆り立てられるように依頼をこなす。
 俺はきっと長居し過ぎたんだ、慣れない環境に疲れたんだ。
 そう、言い聞かせながら。

 でも最後の最後でそんな俺に止めを刺すように、あの王子様は言う。
 こんな俺をちょっと好きになっただなんて、余計なことを。
 あんな素直なもの、邪険に出来るわけが無い。
 気まぐれで優しくするなと俺は怒ったけど、実際自分で受けてみて思ったね。俺、間違ってなかったよ。アレは本当に惑わされる。さっさとオサラバしたいっていうのに離れ難くなるのだから。
 そして皮肉なことに、嫌な人だと思っていたその人物だけが俺を一番よく見ていた。

「なぁ……お前の『寄り掛かる場所』は、どこだ?」

 親、兄弟、恋人、人によっては人物ではなく物や無形である場合もあるだろう、心が縋る場所。

「? そんなもの無いよ」

 そんな不意打ちの質問に素で答えた後、まずいと気付く。質問を返すわけでもなく、その問いの意図を完全に理解した上で、無いと答えてしまったこと。
 これは俺の在り方、欠けているものが、バレてもおかしくない。指先まで冷えるような思いで慌ててフォローを入れたけど、返ってきた反応は俺に対する優しい気遣いの色。
 あぁもうほんと、有り得ない。
 辛くても君が傍に居ようとするわけだ。普段そんな優しくなんか無いくせに、そういう大事な部分は決して外さずに捉えてくるんだからね。
 アレだよ、不良がイイコトすると妙にイイヒトに見えるようなアレ。羨ましいね、俺が気遣ってもクリスはちっとも気に留めないのに。

「……ありがとう」

 口にされた気遣いでは無い、視えたものに対しての礼。言わなくてもいい、むしろ伝えたら会話の流れとしては違和感が残るばかりの感謝の意。
 生涯で三度目のそれを、俺は心から述べて別れた。
 一度目も二度目も、そして今回も……全て別れ際に言う俺はきっと、嬉しいと同時に怖かったんだろう。
 言い逃げてたのさ、いつもね。

 王子様から受けた依頼は終えて、これで俺は晴れて以前の生活に戻る。
 そう思いながら外の空気を吸って、特にどこに行くかも決めていない状態で空を眺めると、

「あーあ」

 何にも無い。
 むしろ残ったのは蟠りばかり。
 何かが、元通りにならない。なってない。

 取り敢えず王都から旅立つにしても先生のところに挨拶へ行かないと……そう思って俺の足は南西に向く。でも途中でその足は止まってしまった。
 挨拶はしなくちゃいけない、分かっているよそんなこと。
 でも行きたくない。旅に出るなら、元に戻るなら、挨拶に行けない。だって行ったらまただらだらと喋り始めて、食事をご馳走になって、ついでに泊まっちゃうのが目に見えてるんだよ。
 それで、のんびりしたくなっちゃうんだよ、あの場所で。

 君が王子様の婚約の儀当日にしていたであろう葛藤を……そうさ、俺は先に同じことをしていたんだ。
 あの日に君の後押しをした俺は、過去に結局自分自身の足を動かすことが出来ず、挨拶せずに立ち去ってしまっていた。
 結果、旅先では何にも手につかず上の空。逆に面白いね、何を見て何を食べても味気無いってああいうのを言うんだ。
 今更逃げるように去ったところでもう遅かったんだと思う。
 今まで知らなかった温もりを俺はとっくに覚えていて、でもずっとそのことに気付かない振りしてた。だってそれは、俺の手には残らないものだと決め付けてたから。

 俺は他人と深く接するのが苦手だ。
 メリットはあれどもデメリットも多いこの力。視えてしまうことで自分の気分を害し、視えたものを口にすることで他人の気分を害す。
 だから俺は他人から一歩距離を置くし、相手も距離を置いてくる。表面だけ取り繕っての人付き合い。
 当然の流れ。

 でも何が当然なんだ? もしそうなら俺は他人と接していて本当に楽しいなどと思わないままだったはずだ。
 気付かない振りじゃなくて、本当に気付かなかったはずだ。

 つまり、当然とか言って他人とのことを決め付けるなんて出来ないんだよ。だって色んな人が居るんだから。
 この広い世界で、俺みたいな奴が何を視てたってそんなこと気にしない人も居る。文句言い合っても根に持たずに水に流せちゃう人も居る。言ってなかった本音がバレたところでまぁいいやって素でそのまま会話続けられる人も居る。
 勿論、その逆も大勢居るだろう。俺からでなくとも必要以上に見られることに怯える人が居る。小さなことで簡単に相手を嫌いになれる人が居る。嘘がバレた途端に取り乱してその後の関係に支障を来すほどの反応をする人が居る。

 そんな色んな人の中から自分が付き合い続けられると思う人を探せばよかっただけなのに、拒否されることを恐れ、見つからないことを恐れ……この力のせいにして孤独を作り上げていた。
 本当は力でも何でも無い、単に自分の器の小ささのせいなのにね。

 他人と笑いあうような『普通の幸せ』は、普通じゃない俺には縁の無いものだろう、と思っていた。そもそもそれが幸せであることすら知らなかった以前の俺は、求めようとも思わなかった。

 でも、君は求めていた。

 俺以上に特異な存在である君は、怖がりながらもそれを望む。そして、その望みに応えてくれる人達が君の傍には居たんだ。

 他人の温かさに気付き始めていた俺にとって、どこか俺と似ている君の行く末は一種の希望だった。
 君が『普通の幸せ』を手に入れたなら、幸せになれたなら……俺も出来るかも知れないって、重ねて見ていたんだよ。

 王都を離れてから今度は西に向かうけど、何をしてもつまんなくて、ぐるぐる頭の中の回る君達のこと。自分のこと。
 何に悩んでいるのか答えを探そうと頑張って考えて出た答えは、最悪だ。
 俺は、自分で踏み出すのが怖いから、踏み出している君が成功するのを願い、勇気を貰おうとしていたのさ。
 何て卑怯者なんだろう。
 俺が応援していたのは、君じゃなくて自分。これじゃ怒られても文句言えないや。

 出した答えは、丁寧に胸に仕舞う。
 俺が向き合わなくちゃいけないのは、俺自身。
 『その先』に進む為にまず何をしようか。どうせすることなんていつも無いんだ、一度くらい大きく傷つく覚悟をして何かやってみよう。
 そう決めた俺は、婚約の儀を一応観ようと、王都に戻る日をその日に決めた。
 俺、実は普通に一般民に紛れて観てたんだよ王子様の婚約の儀を。やれば出来るんだよねあの人。でも『めんどくさい』ってオーラが出てて情けないの何の。レイアさん、これからも苦労するんだろうなぁ。
 昼の披露が終わった後、夜の方が気になるなぁと思った俺は覗かせてくれないかなとお城を訪ねようか悩んでいたところで、とある大いに見覚えのある人影を発見する。
 そう、君だ。
 分かりやすいくらいに『これから旅に出ます』って格好で、城門付近でうろうろと。しばらくは声をかけずに様子を見てたんだけど、どんどんしょぼくれていく君。ぶっちゃけ、笑いそうになった。

「何してるのさ、早く行きなよ」

 旅に出るから挨拶したいんでしょ。でも挨拶したら足が鈍るから悩むんだよね。
 俺はこの前同じことで悩んで、出来なかった。だからこそ言うよ。

「そうだよね、ちゃんと挨拶はしなきゃね」

 しないで去ると結局もやもやするからさ。
 相変わらず単純な君は考え直したようで元気よく城内に向かって行く。見送りながら当の俺は、実を言うと困ってた。どんな流れかは知らないけどクリスは旅に出るわけで、俺の予定とはちょっと違うことになったから。

「どうしよ……」

 俺が王都に何故戻ってきたか、本当のことは伝えてなかったね。こうなった今じゃ言う気も無いけど、本当は俺、旅をやめようと思って来たんだよ。
 家か部屋か借りて、きちんと定住した上で他人と関わってみる。仕事ももう少し真っ当なものを選んで。
 それが一番いいと思ったんだ。

 でも、だよ。あんなお先真っ暗な君の未来が視えたらそれどころじゃないよね。何が原因なんだろうあの未来は。この間まであんなの視えてなかったんだけど。
 取り敢えずマトモに会話させるには満腹にするのが一番だろうと思ってパンを買って来て、城から出てきた君を見てみると未来の色はやっぱり淀んでいた。少し会話しながら探って観察したら、君が旅に出るという決意が表れるとその色が濃くなる。
 ……旅先が、不安だ。
 そういえばクリスって東に行った時、驚くほど地理に疎かった覚えがあるな、とその辺りを一応聞いてみた。するとまぁ、何も考えていないじゃないか君は。

「大丈夫ですよ、お金が無くたって適当に何でも捕まえます」

 なーんて、あっけらかんと適当なこと言って。あぁうんうん、俺もそう思ってた時期があったよ。無理無理、無理だからね。
 何か以前は強かったみたいだけど今はライトさんの腕も解けないただの女の子が、何をどうする気なのか。
 俺の言葉で君が迷い始めると、ようやく少しだけ明るみを帯びてくる未来の色。
 放っておいたらどこかで倒れるとかそういうレベルの軽い不安要素のうつろう未来だったことに少し安心して、精霊さんに問いかけるとその荷物の少なさでは心許無い旅の内容。街しか行き来しない俺はともかく、野宿ありの旅となると話は変わってくるからね。
 と言うか、野宿をすると言うことは街道を外れるコースが想定される気がするわけで……となると荷物を整えようが道に迷ったらおしまいだと思う。

 この後に家でも探すつもりだったけど、それはまた今度でいいか。旅をやめて定住するのはいつだって出来る。
 俺の決断と共にもうちょっとだけ君の未来は明るくなった。遠い先にはまだいくつもの苦難が待ち受けているようだけど、一ヶ月で行き倒れるようなことは一先ずこれで免れそうだよ。
 別に放っておけないだけだから感謝してくれとは言わない。
 でもさ、

「頼んでもいないのに当面の間の道案内をしてくれるだなんて、何を企んでいるんですか?」

「心配されてるとかそういう発想は無いのかな!?」

「無くは無いですけれど、フォウさんの場合更にお金取ろうとかそう言った下心のほうが先に思い浮かびます」

 道具を買い揃えながら道案内を名乗り出たらこの言われ様。君の折角の大きな目が半眼になって俺をじとりと睨み上げてくる。
 俺の心中の決断ですぐに未来の色が変わったのだから、君が拒否しないことは分かっていた。むしろ寂しいのが嫌いな君としては嬉しいことも。
 しかしこの反応。本音が分かっていても、いつからか俺に対して捻くれた態度しか取らなくなった君に付き合うのは骨が折れそうで、早くも挫けそうになる。
 ちょっと面倒だな。そう思っていたら感情が表に出ていたのだろう。

フォウさんって絶対私のこと馬鹿にしてるでしょう!」

 店舗の品である、まだ未購入の網を持つ手に力を入れていきり立つ君。今にも解れさせてしまいそうで、遠めから見ている店員さんの顔色は蒼白だ。

「どうしてそう思うの?」

 飄々と問いかけながらその手から代赭の網をさり気なく取り上げて買い物カゴに移す。
 こちらの動きには深く疑問を持たないで、俺の問いに厚くも控えめな唇が答え始めた。

「疑って掛かってフォウさんを見ていると何か違うんです! その優しい笑顔で騙そうったって、そうはいきませんよ!」

 ぷぅ、と頬を膨らませて訴える君の意見は、多分的を得ている。
 だから俺はなかなか他人と仲良くなれないのだ。何か違う、と付き合う間に相手に感じ取らせてしまうから。上辺を優しくすることは出来ても、心から思いやって出た行動じゃないから。

「凄いじゃんクリス、その調子で見る目を養っていくといいさ」

「え、そうです?」

 真っ直ぐ目を見て笑いかけると、半分褒めつつ半分馬鹿にしているはずの俺の発言に君が照れ笑いをする。ダメだこりゃ。
 そのままにして次の品を物色していたら、肩に乗ったままの精霊さんが俺の代わりに呆れたような声でツッコミを入れた。

「……キミ、馬鹿だよねぇ」

「急に何ですか!?」

 何故馬鹿にされたのか理解していなくとも、それ自体は分かりやすい悪態。白い小さな精霊さんに食って掛かるもののその位置は俺の肩なわけで、怒った君が見上げてくるような状況。
 実にくだらない無意味なやり取りが真横で繰り広げられる。
 いや違うかな、これらもきっと全て価値があるんだ。

 だって、そうだね……
 俺は今何だかんだで楽しいのだろうから。

 独りでは感じることの出来ない心の揺らぎがそこにある。苦しさも悲しさもひっくるめてそれは糧となり、一喜に繋がっていた。
 人が他人の中に身を置きたがる理由を、理解しようとしなかった俺はもう居ない。少なくとも良い部分は皆に教えて貰ったからね。
 でもまだだ。嫌なことも受け止めて、それでも人の環に居たいと思えるのか、俺はまだそれを体験していないから分からない。
 少なくとも俺に近しい立ち位置の君はどんなに辛かろうともそこに居続けているのだから、前向きに今度はきちんと自分で試してみるつもりだよ。
 いや、一先ず君のお守りが終わってからになるんだけどね、それは。

 君の結論は分かっているけど一応言葉に出して貰わないと俺としても困るので、喚き合っている一人と一匹を中断させるように手の平を叩いて注目させる。
 二方の視線が俺に集まったところで口を開いた。

「で、一通り買う物はこれでいいと思うけど……どうするの? 一人で行くの?」

「え?」

「え? じゃなくて! 無理やり着いて行こうってわけじゃないんだからそりゃ聞くよ」

 既に来るだろうと思っていたのか、確認をした途端に君は目を丸くする。
 そして言うんだ。

「素直じゃないですね、一人旅が寂しかったんでしょう? 着いて来たいならそう言ったらどうです?」

 ……毎度の如く、想定外過ぎる言葉を。
 一応俺は旅を一旦やめるつもりだったけどそれを知るはずも無い君の価値観からしたなら、戻ってきて道案内を買って出た俺はそうとも見えるんだろう。
 寂しいのは君で、この件で素直じゃないのも君だと思うんだけど、

「そうだね、そうかも」

 確かに今の俺にとって一人旅はもはや寂しいものでしか無かった。よく分からないけど、こうやって君を放って置けずにお節介を焼くのも本当は着いて行きたいからなのかも知れない。
 否定は出来ない気がしてやんわりと肯定すると、満足げに君が笑う。

「じゃあ、よろしくお願いします!」

 同時に耳元で精霊さんが『あーよかった』と小さく呟くのが聞こえた。俺がこの獣人の立場でもきっと同じ思いだろう。どういう経緯で旅に付き合っているのかはまだ聞いていないが同情しつつ、買い物を済ませて店の外に出る。
 空と同じ色の君の髪は、夕暮れの太陽に染められてやっぱり空と同じ色合いになっていた。内面も外面もまさによく染まる子だな、なんてことを思いながら移動手段と今日どこまで行けるか一人で計算していたんだけど、次に頭に入ってきた言葉で一旦思考は停止する。

「前もって言っておきますけど、フォウさんとは一緒に寝ないしお風呂も入りませんからね!」

「何でそんな当然のことを前置きされたの!?」

「伝えておかないと旅のプランに支障が出ると思ったんですけど、必要無かったですか?」

「ど、どういう……」

 問い質しつつも過去にあった君のおかしな一面を思い出し、何となく想像がまとまり繋がった俺は、次に王子様に会った時にでも絶対に怒ってやろうと決めた。
 そしてそんな変態差し置いて、胸をじっと見ちゃっただけで酷い言われ様な俺の扱いは、やはり理不尽以外の何物でも無いと確信したのだった。

【番外編 ~空に架ける極彩の視点~ 完】